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暮らしは淡々と続くのである。
多分、微細な高鳴りや、躓く程度の挫折を大海原に例えていられるのは、高校生までで、それ以上延長線を引き続ければそれは忌むべき賞賛に値する。
朝、友人とイヤホン越しの目覚まし時計で目覚めるのも、電車の中で聴いていた音楽と次の駅のアナウンスがシンクロするのも、自販機で買ったコーンスープがこんなに温かく感じるのも、全て。

妙に混雑した副都心線には同じ制服を纏う青年男女はおらず、軽く不安を抱いて登校する。月曜の朝は、不安だ。日曜日の続きみたいで、私は今日学校に行かなくていいのかもしれないというむさ苦しい期待が拭いきれない。
時は、残酷。
ありがちな言葉だが、ふと思う。中学の頃同じクラスで斜め後ろの席の彼は、不登校気味で2人の距離感に慣れず終いという事もあったが、確かに同じ教室で学んでいた事実は消えないはずなのに、駄目だった。同じ車両、斜め前に座っているにも関わらず、この目線は交わることが無い。これは、現代のしょうもない端末のせいだろうか。いや、きっと共に噛み締めた味が少し違っただけだ、そう信じて疑わない、疑いたくない。